【導く力 自走する集団作り】「良き伝統を作り上げる」(高松商業・長尾健司監督)

【導く力 自走する集団作り】「良き伝統を作り上げる」(高松商業・長尾健司監督)

長らく甲子園から遠ざかっていた名門中の名門を、わずか就任2年で20年ぶりの聖地に導いた高松商業・長尾健司監督。今夏の甲子園でも52年ぶりのベスト8への進出を決めた。そんな長尾監督の書籍『導く力 自走する集団作り』(カンゼン)より、今回は第二章『良き伝統を作り上げる』の一部を抜粋して紹介します。厳しい上下関係を撤廃する 良き伝統があれば、悪しき伝統もある。就任時、野球部には昔ながらの厳しい上下関係がまだ残っていた。先輩が後輩に正座を命じる場面を何度か目にした。いわゆる、体育会の“指導”だ。朝練のときは、1年生が1時間近く早く来て、練習の準備をする。昼休みにも1年生がグラウンドに出て、放課後の練習の準備を担う。先輩の服をたたむ役目まであった。もはや、これを「伝統」と呼んでいいのかはわからない。さらに言えば、1年生はグラウンドでの練習がほとんどできず、トレーニングや校舎の周りを走ることがメイン。「よっしゃ、高商で頑張って、甲子園に行くぞ!」と高いモチベーションで入部してきても、なかなかそれを持続できない環境になっていたのだ。これがすべてではないだろうが、20年も甲子園から遠ざかっていた理由は、こうした環境にも原因があったのではないか。正直に言うと、OBもこうしたやり方を認めているのかと思っていたが、「おかしいだろう」と思っている方もいた。ある日、学校の周りを散歩していたら、「1年生に早く来させるのは、もうやめさせろ。親がご飯を作るのだって大変やろう。いつまでやってんや!」と、いきなり怒鳴られたのだ。びっくりしたが、理解のある方もいたのだとホッとして、すぐにやめさせた。昼休みの練習準備も、私が赴任してしばらくしてからは3学年で行うようになった。ただ、すべてがうまく切り替わったわけではない。当時の2年生から不満が噴出したのだ。下積みの1年間がようやく終わり、次は自分たちが1年生に指示を出せると思っていたところで、中学校からよくわからない新しい監督が来て、やり方を変えることになった。しかも、高松商のOBではない。そう考えると、たしかにつまらないだろう。私は不満を顕わにしていた2年生と、直接話をした。「ぼくらは、1年生のときの下積みがあったことで成長したと思います。1年生に、それを教えることの何が悪いんですか?」「正直に言っていいか? 1年生から成長したと言うけど、2年生になったお前らを見ていると、どのぐらい成長したのかおれにはわからない。逆に、何もしなくなったように見えるけど、違うか? 1年生のときにはグラウンド整備をやって、ベースを磨いて、先輩の服もたたんでいたんだよな。今は何もしていないよな? 何が成長したんだ?」「いや……、精神的に強くなったと思います」「今、何も残ってないだろう。2年生でも同じことを続けていたらすごいけどな」ふてくされた表情をしていたが、こうした組織を変えないことには、強いチームを作れないのは明らかだった。かつては、「厳しい上下関係で精神的に強くなった」と言われた時代もあったが、本当にそうなのだろうか。理不尽な上下関係に耐え切れず、野球部を辞めていった者もたくさんいたはずだ。決して、彼らの心が弱かったとは思わない。もっと別のやり方で、心を育む方法はきっとあったはずだ。監督に就いたばかりの4月には、こんな事件があった。2年生が、1年生に対してティーバッティングのトス上げを当たり前のように頼むと、「自分の練習があるので」と拒否をした。怒った2年生が声を荒らげ、その場で正座を命じた。納得できない1年生が帰宅後、親に話をしたことで、保護者から私のもとに電話がかかってきた。すべての不満を隠すことなく伝えてくれた。「保護者会もタテ社会で、1年生の親はグラウンドに入れないとか、ここに座ってはいけないとか、いろいろなルールがあるんです。長尾先生、こんな組織でいいんですか?」これも保護者会の代表にお願いして、意味のない慣習をなくしてもらうようにした。春の段階では、チーム内の環境を整備していかなければ、野球に集中できない状況だった。周りから尊敬される人間になる「一番しんどいことを、一番上の人間がする」組織を整備していく中で、もっとも重要視したのはこの部分である。片付けや準備など、しんどいことを下級生にやらせるのではなく、上級生が率先して行う。下級生にグラウンド整備を任せておいて、ノックのときにイレギュラーで自分がケガをしたとしたら、誰に責任を負わせるのか。「お前ら、整備をちゃんとやっておけよ!」と怒ったところで、誰が得をするのだろうか。その怒りは収まるのだろうか。ケガをして試合に出られなくなるのは、自分自身である。自分が守る場所は、自分で整備をしたほうがいいだろう。3年生には、「周りから尊敬される人間になりなさい」とよく声をかけた。チームのために必死で頑張っていれば、下級生は、「3年生のために頑張りたい」「先輩のために何とかしたい」「先輩のような選手になりたい」と思うものだろう。偉そうに指示を出しているだけでは、そこに尊敬の念は生まれない。3年生でも1年生でも、メンバーでもメンバー外でも、高松商の野球部という組織の一員であることに変わりはない。公式戦でプレーするメンバーはどうしても限られてしまうが、練習や試合での一体感がなければ、負けたら終わりのトーナメントを勝ち抜くことはできない。野球は、ひとりでは絶対にできないスポーツだ。守備は味方にボールを投げることでアウトが成立し、攻撃では仲間が塁を進めていくことで、ホームを踏むことができる。犠牲バントはその象徴とも言えるものだ。守備におけるバックアップやカバーリングも、仲間を助ける気持ちが根底にある。理不尽な上下関係があるチームに、「仲間のために」「先輩のために」という気持ちが芽生えてくるとは到底思えないのだ。これもまた、野村克也さんの話であるが、『無形の力』という言葉をよく使われていた。形にはない、“見えない力”はたしかに存在する。特に高校野球は、セオリーや能力とはまた違った、つながりや信頼関係が、大人の想像を超えたパフォーマンスを生み出すことがある。相手の能力が高くても、勝敗がそのとおりにいかないのは、『無形の力』が働いているからだと信じている。『無形の力』を生み出すには、まずは3年生が手本となり、周りから尊敬される存在になること。最上級生が理不尽な指導ばかり続けていたら、そうはならないだろう。今の3年生には、毎日提出している野球ノートに、「あいつ(1年生)のことを育ててやってくれ」と書くことが多い。また、1年生に対しては、「あの先輩(3年生)の取り組みを見習ってほしい」と記す。先輩の取り組みが良ければ、後輩もしっかりと育っていくのは間違いない。 目次 第1章 指導者としての原点「失敗」と書いて、「成長」と読む/トップダウンの罰に意味はない/Education=引き出す/プロに進んだ剛腕左腕を攻略 ほか第2章 良き伝統を作り上げる厳しい上下関係を撤廃する/全部員が平等に練習できる環境を作る/多くの選手を試合で起用する/負けたのは選手の責任 ほか第3章 やんちゃ軍団が果たしたセンバツ準優勝明治神宮大会で起きた奇跡/試合の空気を変える男になれ/逆転勝ちの多さこそ主体性の表れ/今も残る決勝戦での後悔 ほか第4章 4元号での甲子園勝利センバツ準優勝後に苦しんだ2年間/夏に勝つための考え方/選手の考えを尊重した継投/最強打者を二番に置く打順 ほか第5章 心技体を磨き上げる考えもしなかったイチローさんからの直接指導/ピッチングの基本は「釣り竿」にあり/「もうダメだ」ではなく「まだダメだ」 ほか終章 私の原点〜学びの大切さひそかな夢は甲子園で早稲田実と戦うこと/『勝利の女神は謙虚と笑いを好む』/「優」しい人間が「勝」つ 書籍情報 「導く力 自走する集団作り」(著・ 長尾健司 高松商業野球部監督)竹書房定価1800円+税 Amazonで見る

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