強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか? 「不動心」を掲げ、この夏にも2年連続18度目の甲子園出場を果たした、東北の強豪・聖光学院(福島)の斎藤智也監督にお話を聞きました。(聞き手:田澤健一郎)――テーマは「名将の失敗」です。失敗を失敗のままに終わらせず、どのように成果に結びつけたかをうかがいたいです。率直に「失敗」と言われてまず思い出すエピソードは何でしょう? 斎藤 失敗というか、教訓になったという意味なら、やはり甲子園初出場の初戦(2001年の夏)。明豊(大分)と対戦し、0対20で大敗した試合。またその話か、と言われそうですけどね。――それほど斎藤監督にとっては大きなターニングポイントだった。では大敗の理由は?斎藤 「井の中の蛙、大会を知らず」です。甲子園出場が決まると取材攻勢にあい、自分も初出場ということで舞い上がってしまった。甲子園出場という悲願を達成して、甲子園に向けて練習はしていたけど、いま思えばモチベーションもそれほど高くなかった。「明豊に絶対勝つ」という気持ちにはなっていない。記者の方に「何点勝負ですか?」と尋ねられれば「勝つなら3対2ですかね」なんて答えていたけど、それだって言わされていたようなもの。――実際、勝つイメージもあったんですか?斎藤 相手も初出場だから勝機はあると思っていました。大分大会のビデオを見て抑えられない打線ではないと感じたのも事実。――しかし、実際は大量20失点。斎藤 結果は想像をはるかに超えました。「3対2」と言いつつ、心の中では5、6点の失点も覚悟はしていました。だけど2ケタ失点するイメージはなかった。今ならどんな相手でも、そんな展開はあり得ると考えられるようになりましたけど。若気の至り、知らない者の弱みのような話ですよ。――明豊との差はどこにあったのでしょう?斎藤 初出場同士だったし、ビデオを見てもウチの選手とそんなに差を感じませんでした。ところが試合で実際に相手を見ると、パッと見の印象はそれほど変わらないのですが、選手がみなたくましい体つきをしている。ウチの選手が1300ccのコンパクトカーだとすると、明豊の選手は3000ccのパワフルな車。エンジンの大きさが違う。明豊だけではなく、甲子園の上位常連校はみんなそうでした。――その年、明豊は初出場ながらベスト8まで進出していますしね。斎藤 そう、同じ土俵で戦うこと自体が間違っていた。――どんな点にエンジンの違いを感じましたか?斎藤 フットワーク、送球の速さ、スイングの速さ、打球の速さと飛距離……それに圧。やっぱ圧だよね。体もそうだけど甲子園にやってくるのは基本的に足と肩のレベルの高い選手。甲子園のように戦いの場のレベルが上がると選手の体も違うと痛感しました。その後、選手には「甲子園は勝てないことがわかっているチームは来てはいけない場所だ」と選手に言い続けましたね。――当時の聖光学院は「圧」をかけられなかった。「圧」を身につけるために何かを変えましたか?斎藤 「心技体」を「心体技」に……いや、考え方によっては「体心技」だったかもしれない。誤解してほしくないのですが、もちろん「心」、メンタルは大事ということ。一番大事なことです。だけど、明豊戦では心の強さが出る間もなく力で圧倒され、潰された。極端な話、大人と小さな子どもが野球をしたようなもの。小さな子どもにいくら技術があっても勝つのは大人でしょう? 力負けですよ。だから、大敗後は体力アップのトレーニングを増やしました。――具体的には?斎藤 3000ccのエンジンをつくるために必要なのはランを用いた負荷スプリットとウエイトトレーニング。負荷スプリットについては、原始的ですがオフになると山で傾斜20度くらいの坂をダッシュ、片足ケンケン、蛙跳び、サイドステップと様々な動きで15本、20本と上る。グラウンドでの練習にもジャンプやショートスプリント、負荷スプリントといったメニューを取り入れたり、ときには罰ゲームに取り入れたり。1年を通して、みんなで盛り上がりながら取り組む感じでした。――ウエイトは?斎藤 幸い学校に設備の整ったトレーニングルームがあったので、週2回は必ず行うように。ベンチプレス、スクワット、デッドリフト、オーバーヘッドプレス……筋トレのBIG4ですね。そして食トレ。当時は自分もトレーニング方法の引き出しが少なかったのですが、今もこの3つはやり方を変えながら続けています。――そして、2004年の夏には2回目の出場で2勝してベスト16。成果が出ました。斎藤 初出場と違い、本気で勝ちに行きました。当時の3年生は2002年の入学。初出場で大敗して、体力の大切さを知り、その話を入学時から聞いていましたから。――初めて入学時から体力にも力を入れて練習にも取り組んだ最初の世代だったんですね。斎藤 当時はまだ体力が甲子園レベルではない選手たちに「今は県北レベルが3人、県レベルが8人、東北レベルが2人、甲子園レベルが1人。東北レベル以上が3人しかいないようでは勝てないよ」なんて話もしていました。――斎藤監督の中に甲子園レベルの物差しができたんですね。斎藤 3年間、甲子園レベルを意識して作り上げたチーム。選手との信頼、絆のレベルも全く違う。「体」だけではなく「心」も「技」も全部、間違っていなかったと思えました。「圧」もできていたと思いますよ。(取材・田澤健一郎/写真・編集部)(インタビュー後編に続きます) 関連記事 【Timely!的2023甲子園注目選手】#3 高中一樹|聖光学院(福島)2023.8.6 選手 【聖光学院】野球を愛しているから目指す「心のなかの甲子園」2020.5.26 学校・チーム いま東北野球がアツい!!東北6県の監督が語る「わが県」の魅力2019.2.19 企画 【いわき光洋】自主・自学・自立の精神、食トレで選手を伸ばす2018.5.2 カラダづくり 【白河】一度は断念した食トレ、意識改革で再スタート2018.4.27 カラダづくり 【全国スイングスピード選手権】白河高校|急成長中の進学校がチャレンジ!2018.3.16 企画
元記事リンク:【聖光学院】斎藤智也監督|屈辱的な大敗から学んだ「パワーアップ」の必要性