強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか? 2023年夏の甲子園で準決勝に進出した土浦日大の小菅勲監督に話を聞きました。(聞き手:西尾典文)昔は「おにぎり」、今は「サラダボウル」現役時代は選手として取手二で夏の甲子園優勝を経験し卒業後は法政大でプレー。指導者としても県立高校の下妻二を2度、異動した土浦日大でも3度甲子園出場を果たすなど見事な実績を残している小菅監督。外から見れば成功を積み重ねている印象を受けるが、過去を振り返ると悔やまれることも多いと話す。「指導者になったばかりの30歳くらいの頃は今思えばかなり“イキって”ましたよね。当時は平成の初め頃で、自分も昭和の指導を受けてきましたから。自分が選手を上達させて甲子園に連れて行ってやるっていう気持ちが強かったと思います。失敗だったなという意味ではやっぱりコミュニケーションですね。常にこちらが何かを言って、選手は聞いていて『はい』か『いいえ』だけで答えるみたいな感じでした。双方向のやり取りができるようになったのは正直に言うとこの5年くらいだと思いますね」下妻二の監督時代はそれでも結果が出ていたというが、難しさを感じるようになったのは土浦日大に異動してからだという。「私がここに来たのが8年前の2016年。チームとしてもなかなか勝てていない時期でした。学校も変わったし、結果も出ていないのだから思い切ってドラスティックにチームを変えようとしました。高校野球の監督の仕事って、お客さんである生徒に苦しい思いをやらせることじゃないですか。『勝つ』というのはこんなにキツいことなんだよという感じでやったら、すぐに反発が出ましてね、しばらく受け入れてもらえなかったんです。ただ全員が全員ではなくて、勝ちに飢えていた子もいて、そういう一部の選手はついてきてくれたんです。それは救いでしたね。反発している子も、よくよく見ているとこの苦しいことが何に繋がっているかが想像できていないだけなんですね。それが勝った時の喜びに繋がったと感じられるとだんだん変わってくるんです。そのためにも選手の話をしっかり聞いて、何を考えているか、感じているかということを知らないといけないと思うようになりました。『2-6-2の法則』というように、『2割』くらいはどんなやり方でもやれるんですね。大事なのはやり方次第で大きく変わる『6割』で、そこをどこまでトップに引き上げられるかで結果も変わると思いますね」下妻二の時は地元の子ばかりで、レベルの差も大きくなかったという。私立の土浦日大に来ると、色んなレベルや考え方の選手がいたのだという。「価値観が多様化している時代になってきたというのもありますけど、野球で勝負している子もいれば、勉強も頑張りたいという子もいます。加えて人数も多い。これは今までのやり方じゃダメで、指導者としてアップデートしないといけないと思いました。これまでは全員を一つにまとめて『おにぎり』を作るようなイメージでしたが、今はそれぞれのタイプに合わせて『サラダボウル』をいくつも作って、最終的に良いところが合わさればいいかなという考えでやっています。色んな子がいるのに、無理に統一感を持たせようとするとおかしくなるなと思います」選手の話すことに耳を傾ける、傾聴するこの日の練習もスポーツクラスの2年生は修学旅行で不在だったが、進学クラスの2年生は練習に参加しており、小菅監督の言う多様性が感じられた。またそういったあらゆるタイプの選手の良さを引き出すために特に気をつけているのが「傾聴する姿勢」だという。「昔は答えを与えて、自分の思うように動かすことが監督の仕事だと思っていました。でもそれだとさっきも言ったようにごく一部の選手しかついてきません。そこからコーチングとかエデュケーションとかの意味を改めて勉強して、選手が持っている答えを引き出してやることなんだなと。そこから選手の話すことに耳を傾ける、傾聴することを気をつけるようになりました。そうすると選手も色々話してくれるようになるんですね。そうやって選手自ら出たものは定着しやすいというのも感じます」ただ冒頭でも触れたように選手としてだけでなく、監督としても実績を残していたこともあって、それまでのやり方を変えるのは難しくなかったのだろうか。「それはあまりなかったですね。我々指導者の仕事って逆に成功体験が足を引っ張ることもあります。これまでも5年に1回くらいは見直さないといけないとは思ってやっていたのですが、今は変化も早いですから2年くらいで変わらないといけないと思っています。この前もコーチがノックをしているのを見ていたら、ボールを渡している選手が自分の頭の上を通してコーチに渡したんですね。昔だったら怒っていたと思います。でも、今はこっちが邪魔だったと思って『悪い、悪い』と言って場所を変わりました(笑)。選手ファーストで考えるようになったのは大きいですかね」そんなふうに考えられるようになったのは、取手二のエースだった石田文樹さん(元大洋/横浜)が亡くなったことが大きかったと振り返る。「ちょうど自分が土浦日大に来た年に亡くなったんです。甲子園の時は同部屋で、毎試合投げて、部屋では疲れ果ててひっくり返っていたんです。その姿を思い出すと『あー、自分が甲子園で優勝したんじゃなくて、優勝させてもらったんだな』と改めて思うんですよね。監督の木内(幸男)さんもその後に亡くなって、『本当に熱心にやっていただいていたな』と振り返ったりして。そんなこともあって、より選手のために自分がどうすることが良いのかというのを考えるようになりました」(取材:西尾典文/写真:編集部)後編では昨年の甲子園で勝ち進めた理由などをお届けする。 関連記事 【上田西】吉崎琢朗監督|技術だけ教えようとしてもチームは強くならない2024.2.10 学校・チーム 【創価】堀内尊法監督|環境が乱れると、心も乱れる2024.1.31 学校・チーム 【創価】堀内尊法監督|伝えても動かなかったら、伝えてないのと一緒2024.1.20 学校・チーム 【市立船橋】海上雄大監督|部長時代に感じた試合当日の違和感、監督に共有しなかった後悔2024.1.4 学校・チーム 【市立船橋】海上雄大監督|大事なことは「ミーティング」でしっかり伝える2024.1.13 学校・チーム 【聖光学院】斎藤智也監督|屈辱的な大敗から学んだ「パワーアップ」の必要性2023.12.15 学校・チーム 【近江】多賀章仁監督|「勝った」と油断・・・手痛い逆転負けが監督としての出発点2023.12.6 学校・チーム 【享栄】大藤敏行監督|仕掛けなかった、挑戦しなかったことに対する悔い2023.11.24 学校・チーム 【履正社】夏に勝つ為に必要になる、複数投手の育成2023.11.10 学校・チーム 【明豊】川崎絢平監督|初めての甲子園で痛感した、事前対策の重要性2023.11.1 学校・チーム 【日大三】三木有造監督の失敗と後悔、2006年西東京大会決勝での後悔2023.7.27 学校・チーム 【広陵】進化する名門、Instagramで「野球の楽しさ」発信2023.7.25 学校・チーム 【山梨学院】吉田洸二監督|「万全の準備」で臨むことの大切さを学んだ、初戦敗退2023.7.22 学校・チーム
元記事リンク:【土浦日大】小菅勲監督|就任直後に招いた選手達の反発と「傾聴する姿勢」