松坂大輔が「平成の怪物」ならば、寺原隼人は「21世紀の怪物」と謳われた。2001年、夏の全国高校野球選手権大会で松坂の151キロという“甲子園記録”をはるかにしのぐ「158キロ」の剛速球で世間を驚かせた右腕がいよいよプロの道へ。同年秋に行われた21世紀最初のドラフト会議では4球団が1位指名で競合し、交渉権を引き当てたのが地元九州の球団であるダイエー(現ソフトバンク)だった。
元記事リンク:「ボクは1年目から結果を残さないと…」甲子園最速158キロでプロ入り、寺原隼人が抱えた重圧の正体…記者が見た「松坂を超えた怪物」のおとなしい素顔