【おかやま山陽】異色の経歴監督のアイデア練習メニュー、「まずはブレーカーを入れてあげる」

【おかやま山陽】異色の経歴監督のアイデア練習メニュー、「まずはブレーカーを入れてあげる」

海外青年協力隊としてジンバブエで2年、ガーナで1年、野球の普及に取り組んだ。帰国後はビジネスの世界で活躍し、高校野球の監督でありながらガーナ代表監督も務めた。そんな異色の経歴を持つ堤尚彦監督の練習メニューは、独創的で実にユニークだ。果たしてどんなメニューなのだろうか?「文字の書き取り」でコントロール矯正!?美しいアクションで後転倒立を決めた部員を見つめながら、堤尚彦監督は事もなげに「ベンチに入っている選手はみんなマット運動がうまいですよ」と語った。 そして、主将の井川駿はこんな技も見せてくれた。円柱状の筒の上に細長い板を置いて不安定な土台とし、その上に直立して3個のテニスボールを次から次へと投げては捕る。まるで曲芸師のような見事なお手玉だった。ただし、ここは体操部でもサーカスでもなく、野球部の練習場である。おかやま山陽の野球部では、マット運動だけでなくさまざまなものを練習に取り入れている。ゴルフ、フットサル、バスケットボール、バドミントン、卓球、さらには将棋まで。奇をてらっているわけではなく、そこに理由があるのだ。堤監督は言う。「部屋の明かりが暗くてスイッチを入れても、照明がつかなかったら困りますよね。これを選手に置き換えると、スイッチを入れても電気がつかない選手は強豪校では『へたくそ』とみなされるわけです。でも、その選手はスイッチが入らないのではなくて、ブレーカーが落ちているだけ。だからあの手この手を使って、まずはブレーカーを入れてやることから始めるんです」ブレーカーを入れる、つまり自分の体の扱い方を知った時、選手は化ける。おかやま山陽が激戦の中国地区で台頭した要因は、ここにある。おかやま山陽の校舎は県西部の浅口市鴨方町にある。ひと昔前は越境入学者が多かった時期もあったが、現在は近隣地域からの「通い生」で占められている。決して「スーパー中学生」が集まる学校ではない。それでも、おかやま山陽は2017年夏、2018年春に2季連続甲子園出場するなど、今や中国地方の有力校の一つに数えられている。堤監督によると、今も遠方から「おかやま山陽で野球をしたい」という問い合わせが後を絶たないという。選手の特性に応じて柔軟に変える育成プログラムは、実にユニークだ。2年生右腕の三浦尊神は身長185センチと長身ながら、コントロールが暴れる課題があった。そこで堤監督が三浦に課したコントロール矯正法は、なんと「文字の書き取り」である。最初は平仮名、慣れてくると漢字の書き取りを勧めた。その狙いを堤監督はこう語る。「コントロールのいいピッチャーは字がうまい人が多いんです。それは空間認知能力が高いから。きれいな字を頭でイメージして、それを指先で再現できる。野球のコントロールもそれと同じなので、字の汚かった三浦に書き取りをさせました」コントロールのバラつきが抑えられた三浦は今春、140キロ台の快速球を連発して台頭。角度のある快速球と縦のカーブを武器に、今や2年生ながらプロスカウトが注目する存在になっている。ほかにも計10パターンもあるボール回しなど、その練習内容は趣向が凝らされている。それらのメニューはどこから学んだのかと尋ねると、堤監督は「100パーセント、オリジナルです」と笑った。堤監督が歩んできた数奇な野球人生無尽蔵のアイデアが沸き上がる背景には、堤監督が歩んできた数奇な野球人生がある。中学時代はほとんど野球をしておらず、高校は強豪とはいえない都立高校で自分で考えて練習。大学は一転、強豪・東北福祉大で金本知憲(元阪神ほか)ら全国レベルを体感した。大学卒業後は海外青年協力隊に応募し、ジンバブエで2年、ガーナで1年、野球の普及に取り組んだ。その後はマネジメント会社に勤めてプロゴルファー・諸見里しのぶのマネージャーや、ビジネスマンとして億単位の金額を動かす仕事に携わった。そんななか、諸見里の母校であるおかやま山陽との縁が生まれ、2006年に野球部監督に就任。その詳細は堤監督が著した『アフリカから世界へ、そして甲子園へ規格外の高校野球監督が目指す、世界普及への歩み』(東京ニュース通信社)で明かされている。 堤監督が高校野球を指導する最大のモチベーションになっているのは、「野球の世界的普及」にある。ユニークな練習メニューの数々も、「野球をまったくイメージできない海外の人でも、うまくなれるようにするため」という願いがこもっている。「野球はルールが複雑だし、道具も多い。一方、サッカーはボールさえあればできるから普及する、という話をよく聞きます。でも、道具が1個しかないのはビジネス的な視点から考えれば魅力にはなりません。サッカーが普及したのは、大航海時代にイギリスが植民地を広げた際に広まった要因が大きい。そうした歴史まで知らないと、野球の普及は難しいと思いました。アフリカでは貴重なサッカーボールを潰してまでグラブを自作して、『オレは野球のほうが好きだ』と言うヤツもいました。それを見て、私は『野球は絶対に普及する』と思ったんです」甲子園を本気で目指し始めたのも、「甲子園に行けば『野球普及』の取り組みがメディアに取り上げられるから」と堤監督は語る。今も定期的に中古の野球道具を集めては、開発途上国に贈る活動を続けている。野球の世界普及のために甲子園へ――。そんな野望を秘める堤監督にとって、今年は大きなチャンスを迎えている。(取材・文・写真:菊地高弘) 関連記事 「控え選手のモチベーションを高めたい!」Bチーム中心の“桃太郎リーグ”岡山で始動!2021.5.4 学校・チーム 【監督から3年生へ贈るメッセージ】おかやま山陽高校監督 堤尚彦2020.9.16 学校・チーム 【監督から3年生へ贈るメッセージ】岡山県共生高校監督 森下雄一2020.8.18 学校・チーム 【共生】憧れは甲子園、台湾からやってきた留学生が迎える「最後の夏」2020.7.17 学校・チーム 【玉野光南】「声」の大切さを再確認、代替大会でNo1を目指す2020.6.16 学校・チーム 【岡山学芸館】「素直な心」と「笑顔」で掴んだ2度目の甲子園出場2019.12.24 カラダづくり 【おかやま山陽】「野球をする以前に必要な人間力」2019.8.26 学校・チーム 【創志学園】底上げ図る冬、「西だけのチーム」と言わせない!2019.1.7 学校・チーム

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