【共栄学園】原田健輔監督|同じことを続けていては・・・思い切った方針転換

【共栄学園】原田健輔監督|同じことを続けていては・・・思い切った方針転換

強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか?2023年夏に東東京大会を制し、学校として初の甲子園出場を果たした共栄学園の原田健輔監督に話を聞きました。(聞き手:西尾典文)突然の監督就任、自分の経験だけが便りの失敗の連続原田監督はさいたま市の出身で、全国屈指の強豪、浦和学院に進学。自身は選手として実績は残せなかったとのことだが、在学中にチームは3度甲子園にも出場している。卒業後は東京新大学リーグ一部に所属している共栄大でプレー。この経歴を見れば、指導者を目指していたと思うかもしれないが、実はそんな気持ちは全くなかったという。「大学を卒業した後は信用金庫に就職しました。土日に会社の軟式野球チームでプレーは続けていましたが、指導者になろうという考えは全くなかったですね。普通に働いて結婚して子どもができて家庭を築いていくんだろうなと思っていました」そんな原田監督だったが、思わぬ出来事から指導者への道を歩むこととなる。それが2008年9月に起こったリーマン・ショックだった。「リーマン・ショックがあったせいで会社の業績も厳しくなり、このまま働き続けていくのが難しいと感じました。そこで共栄大学の野球部の監督に相談したところ、系列の共栄学園の事務職員が一人枠が空くからということで紹介していただきました。監督からは、時折大学の野球部のコーチも手伝ってくれと言われたのですが、それもそんなに頻度が高いものではなく、時間がある時に行くくらいでした。そうしていたら、高校(共栄学園)の方の野球部の監督が退任されて、誰か指導できる人はいないかということになって引き受けたという流れですね。たまたま野球経験のある教員、職員が自分しかいなかっただけで、何か手腕を期待されていたみたいなことは一切ありません。大学で多少コーチはしていましたけど、監督としては本当に知識も経験もゼロからのスタートでした」共栄学園は埼玉の強豪として知られる春日部共栄と同じ学校法人が運営しており、設立は1939年と古いが、2002年までは女子校だったこともあって野球部の創部は2005年と歴史は浅い。原田監督が就任した2012年以前は夏の東東京大会では1勝もしていないチームだった。浦和学院と比べると何もかもが足りないチームであり、その状態から強化していくことは相当な苦労があったはずである。原田監督は当時26歳。そんな中で何とかチームを強くしようと指導にあたったが、失敗の連続だったという。2015年には部員への暴力で謹慎処分も受けた。「監督になった当時は自分の経験だけを頼りにしていました。当時の生徒たちは当然レベルも意識も自分の経験してきたチームとは違います。だから突然来て『この人は何なんだ!?』という感じだったと思いますね。何とか自分の言うことを聞いてもらおうと思っても、そのやり方が分からない。だから暴力に訴えるということしかできなかったです」一方的な指導から「選手に任せる」への転換二ヶ月の謹慎が明けた。手こそ出さなくなったものの、その後も試行錯誤の連続だった。しかし、一つの思い切ったやり方の変更がチームの躍進に繋がるきっかけとなる。それは2019年夏のことだった。「この年は結構練習も根詰めてやったんですけど、夏の初戦で負けたんです。その結果を見て、『同じことを続けていてはいつまでたっても勝てないんじゃないか・・・・・・』と思いました。それでちょっと思い切って変えてみようと思って、その後の夏休みの練習も半日で終わりにしたりして、こちらもあまり口を出さずに選手に任せてみたんです。そうしたら選手たちが変なプレッシャーから解き放たれて、結果も出たんですね。『あ、こういうやり方もあるんだな』ということに気づかされました」原田監督は「くじ運もありました」と話すが、2019年秋は成立学園、堀越という甲子園出場経験のある学校を破って都大会で準々決勝まで進出している。この頃から徐々に共栄学園の名前が東京の高校野球界で聞かれるようになっていった。しかしここでもまた落とし穴が待っていた。それが2020年の新型コロナウイルス感染拡大である。当時のことを原田監督はこう話す。「やっと秋に結果が出たんですけど、翌年はコロナで全く活動ができなくて、大会もなくなってしまったことから、それを取り戻さないといけないと思ってまた以前のやり方に戻ってしまいました。(2020年夏の)代替大会でも初戦敗退で結果が出なくて、それもまた焦りに繋がったと思います。今思えばコロナで全てがリセットしてしまった感じですね」原田監督が話すように2020年の秋もチームは都大会の2回戦で敗退。翌2021年も上位に勝ち進むことはできなかった。後編ではそこから2023年夏の甲子園出場にどう繋げっていたかということを中心にお届けする。(取材:西尾典文/写真:編集部) 関連記事 【修徳】慶応ボーイの指揮官と下町の野球小僧たちが目指す、10年ぶりの頂点2023.7.12 学校・チーム 【帝京】夏までに不安な部分を少しでもなくす2022.6.10 学校・チーム 【都立新宿】春に旋風起こした「文武両道」の伝統校2022.5.25 学校・チーム 【都立新宿】野球部伝統の「新宿三全」、全員野球・全力野球・全国野球2022.5.31 学校・チーム 【小山台】結束力のルーツは「ボトムアップ」。創部最多の111人で挑む夏2020.7.22 学校・チーム 【都立城東】2季連続初戦敗退から都大会ベスト4へ。チーム立て直しのカギは「野球をシンプルに考える2020.3.16 学校・チーム 【立正大立正】甲子園優勝、プロ野球経験のある監督が目指すチーム作り2020.2.19 学校・チーム

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