【日大豊山】福島直也監督|自分がまず楽しく、面白く感じるやり方をやる

【日大豊山】福島直也監督|自分がまず楽しく、面白く感じるやり方をやる

強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか? 強豪がひしめく東京でコンスタントに上位進出を果たしている日大豊山の福島直也監督に話を聞きました(聞き手:西尾典文)目が血走っていたコーチ時代2019年夏には東東京大会でベスト4、昨年夏の東東京大会、今年春の東京都大会ではベスト8に進出するなど近年安定した結果を残している日大豊山。昨年のチームは4番を打つ光永翔音が水泳でもインターハイに出場する異例の“二刀流”選手としても大きな話題となった。そんなチームを指導するのが同校OBでもある福島直也監督だ。高校卒業後は日本大でプレーした後、講師として母校に戻り、コーチ、日大豊山中学の部長、監督を経て2017年春から監督に就任した。しかし元々指導者になるつもりがあったわけではなかったという。「母親から教職はとっておきなさいと言われて、たまたま母校に教育実習に来たんですね。その時に自分の恩師の福島光敏監督から『野球部を手伝わないか?』と言ってもらったのがきっかけですね。最初は非常勤講師でコーチという形で、日大の採用試験を受けたらたまたま豊山に赴任となりました。もうそこからは逃げ場がないという感じでしたね」5月に取材した共栄学園の原田健輔監督も指導者になるつもりではなかったと話していたが、福島監督も共通している部分はあるようだ。ちなみに2人は同学年で、練習試合もよく行うなど親交も深いという。そんな形で指導者としての道をスタートした福島監督だが、最初はとにかく力んで無理をして指導していたと話す。「当時の自分は今とは全然違うと思いますね。毎年変わっていってますけど、コーチになりたての頃は目も血走っていて、とにかく選手にプレッシャーをかけるような指導だったと思います。色んな人の話も聞きましたけど、じゃあ結局何がやりたかったのかみたいなものがなかったです。結果だけで判断して勝ったから良い、負けたからダメ、という感じだけでやっていてました。だから選手たちも自分には何も意見とかしてこなかったですよね。当時の選手からしたら、無駄に怖いコーチだったと思います」一時は中学の野球部での指導も経験し、再び監督という形で高校に戻ったが、それでも就任当初はなかなか指導方針も固まらなかったそうだ。「やっぱり自分が定まってなかったですね。キャラ設定もそうですし、どういうやり方が自分に合うか、チームに合うかとか、そういうことを考えずにやっていました。何となく高校野球の監督ってこんな感じだろう、みたいな勝手なイメージだけ持って指導していたと思います。でも監督って言っても一人の人間じゃないですか。ましてや高校野球ですし。プロ野球の監督だったらまた違うかもしれないですけど、特にうちは常勝軍団みたいなチームじゃないですし。だったらまずは自分らしくやるのが一番だなと思うようになりました。自分が無理をするのはやめようと。それから色々変わって、結果も出るようになったのかなと思いますね」自分がまず楽しく、面白く感じるやり方をやるそう考えるようになったのは福島監督自身の身内の出来事が大きかったという。「昨年なんですけど父親が亡くなったんですね。ガンだったのでそのだいぶ前から長くはないというのは聞かされていたんですけど。それで父親と話していたら、人間いつかは死ぬから、それが早いか遅いかだけだからって言っていて、自分らしく亡くなったんです。それを見ていたら自分もどうせ死ぬんだし、監督だって教員だっていつから辞めるんだし、だったら自分らしくやった方がいいなって思ったんです。よくよく考えたら、今までのやり方で監督やっていても自分が楽しくないなって。朝早くから夜遅くまで練習して、休みもなくて、負けたら反省して。あれ? 全然面白くないなって(笑)。だったら自分がまず楽しく、面白く感じるやり方をやろうと。そう考えるようになったのが大きいですかね」取材当日、福島監督は会議があるということで練習には途中から合流していたが、選手たちと接する姿を見ていても常に自然体で、コーチ時代に「目が血走っていた」と話すような雰囲気は全く見られなかった。ただ、だからといって決して雰囲気が緩いわけではなく、選手それぞれが課題を持って取り組んでいるように見えた。よく言う“やらされる”練習ではなく、選手自らが“やる”練習になっていると言えるだろう。もちろん自然とそうなっていったわけではなく、福島監督の意識や声掛けによって変わっていった部分も大きいはずだ。「自分らしくやろうと思って大きく変わったのは選手をよく見るようになったことですね。前は選手の反応を見ずにこちらが伝えたいことだけを伝えていたのですけど、それだと『はい!はい!』と言うだけで伝わってないじゃないですか。でも表情とか態度を見ていたら色々分かることがあります。だからどのタイミングでどんなことを言うか、こっちが言った後にどんな反応をするか、そういうことを考えるようになりました。そうした方がこちらも面白いんですよね」コーチングの基本と言われるものはいくつかあるが、そのうちの重要な一つが相手をよく観察することである。この日も話をしながらも、選手の様子をよく見ていることは伝わってきた。そういう指導法によって効果が上がってきた面も大きいのではないだろうか。後編はさらにチーム作りで重要視していることや、福島監督の話す日大豊山らしさについてお届けします。(取材:西尾典文/写真:編集部) 関連記事 【共栄学園】原田健輔監督|きっかけは選手の拒否反応、見直した体作り2024.5.17 学校・チーム 【共栄学園】原田健輔監督|同じことを続けていては・・・思い切った方針転換2024.5.10 学校・チーム 【修徳】慶応ボーイの指揮官と下町の野球小僧たちが目指す、10年ぶりの頂点2023.7.12 学校・チーム 【修徳】下町の巨漢右腕・篠崎国忠、キャチボールで掴んだ「リリースの感覚」2023.7.7 選手 【帝京】夏までに不安な部分を少しでもなくす2022.6.10 学校・チーム 【都立新宿】春に旋風起こした「文武両道」の伝統校2022.5.25 学校・チーム 【小山台】結束力のルーツは「ボトムアップ」。創部最多の111人で挑む夏2020.7.22 学校・チーム

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