【明豊】川崎絢平監督|初めての甲子園で痛感した、事前対策の重要性

【明豊】川崎絢平監督|初めての甲子園で痛感した、事前対策の重要性

強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか? 2021年のセンバツ大会準優勝校、九州の強豪校・明豊高校の川崎絢平監督にお話を聞きました。(聞き手:加来慶祐)映像を見ることの重要性と、見すぎることの怖さ――過去に経験した失敗や後悔を、後の指導にどう活かしていったのかを伺います。 やはり私のなかで真っ先に浮かんでくるのが、2015年夏の甲子園での仙台育英戦ということになります。大きく頭を打たれる出来事になりました。 ――2012年秋の就任後、監督としての甲子園初采配となった2015年夏。1回戦の仙台育英戦は1試合10本の二塁打(大会新記録)を含む20安打を浴びるなどして、1-12という完敗に終わりました。事前対策が不充分でしたね。当時の仙台育英は佐藤世那投手(元オリックス)や平沢大河選手(千葉ロッテ)らを擁して前年秋に神宮大会で優勝もしている。この夏も優勝候補の一角に挙げられ、最終的には準優勝した非常に力のあるチームでした。一方の私は、監督として初めての甲子園。正直なところ、そんなに自信がなくて、相手を分析すればするほど“怖さ”を感じてしまうのではないかと思い、大雑把にしか見ていないんです。それなのに“みんなが言うほどか?”と、変な自己暗示をかけてゲームに入ってしまったのです。そうやって、あまり細かく分析もせず、強がって試合に入ったら、とんでもないことになってしまいました (笑)。――相手を知る上で「映像を見ること」の重要性を痛感させられたということでしょうか? もちろん。一方で“映像がすべてではない”ということも自覚しました。なぜなら、映像の中では140キロそこそこだったピッチャーが、実際に甲子園では147キロを投げるわけです。仙台育英の佐藤投手もそうでした。事前に映像で見た時には“おや、思ったほどボールが来ていないぞ”という印象を抱いたのですが、よくよく考えたら私たちが見ていた映像は、宮城大会の決勝戦。たしかに夏の甲子園に出場した時、データとして見る相手の映像は、地方大会の準決勝や決勝がほとんどだと思います。その場合、ピッチャーはすでに4試合、5試合を投げてきている状態なので、決して万全ではないのです。ピッチャーの少ないチームなら、なおさら苦しいでしょう。ところが、そこから中10日から2週間でピッタリ調整して、全開で来るピッチャーのボールは別物です。あの年の佐藤投手と対戦した時も“そんな5キロ以上も違う!?”と戸惑ってしまいました。実際に目の前にいる相手は、映像の中の相手よりも格段に状態が良い。それを想定しておかないと、痛い目に遭うということも学びました。相手のビデオはよりシンプルにプレーするための材料 ――選手と映像を見る時に「ここだけは見ておいて」とか「こういう見方をしなさい」といった指示はしていますか?ウチは食事を摂りながらビデオを見ることが多いのですが、見終わった時に『こういう場面はこうだから』という話をせず、次の日の練習前に『相手はこういうピッチャーだから、今日はマシンをこんな設定にするので、こういう打球を打つように心がけよう』と伝えるぐらいですね。攻撃の面でも守りの面でも、大きく3つほどのことしか言いません。頭でっかちになり過ぎて、いざプレーになると手や足が出なくなることが嫌だからです。実際のところ、映像をもとに細かい対策をしているかというと、それほどしていないんですよ。選手に映像を見せるのは、相手に対するイメージを持ってほしいからなんです。相手ピッチャーはこういう投げ方で、スライダーがあってフォークがあって、牽制はこんな感じ……というイメージだけを持ってくれれば、あとはそれらを集約してこちらが指示を出すだけなので。 ――選手はイメージを持ったまま、シンプルにプレーすればいいということですね。 相手のビデオって、複雑な情報を仕入れるために見るのではなく、よりシンプルにゲームに臨むために見るものだと思っています。選手にはできるだけシンプルにプレーしてほしいのです。複雑に考えるのはベンチ(監督)の方。野球は考える時間がいくらでもあると言われますが、試合に状況が刻々と変わるし、いろんなことが流動的に動いています。夏になれば息も上がってくるし、応援が作る雰囲気もプレーに影響を及ぼします。高校生がそんな状況の中で、こちらが求めているほど頭を使って野球ができるかというと、そういうわけにはいかないものです。一方、グラウンドでプレーをしていない我々ベンチには、考える時間はいくらでもあります。だから、相手ピッチャーやバッターの傾向をベンチが考えて、選手にはできるだけシンプルな情報のみを与えてあげたいですね。 ――今にして思えば、あの仙台育英戦の苦い経験は、監督の「若さ」の表れでもあったのでしょうか? そうですね。当時は自信もなかったし、まだまだ甲子園に出場することで満足していた部分もあったと思います。ただ、監督として初の甲子園があれで良かったと思っています。もし、安易な考え方のまま勝ってしまったり、下手に良い試合をしていたら“甲子園に出てしまえば、まぁなんとかなるもんや”と勘違いして、その後はもっと苦労していたと思います。(取材:加来慶祐/写真:編集部)後編へ続きます。 関連記事 【明豊】変化を続ける「柔軟力」を武器に、川崎絢平監督が目指す夏の頂点 2020.4.2 学校・チーム 【明豊】「全力疾走は『美徳』ではない!」と川崎絢平監督が語る、その真意2020.4.1 学校・チーム 【明豊】川崎絢平監督の試行錯誤と「柔軟力」2020.3.31 学校・チーム 【明豊】川崎監督が辿り着いた「全国で戦える打力」を生むティーバッティング(後篇)2017.9.22 学校・チーム 【明豊】川崎監督が辿り着いた「全国で戦える打力」を生むティーバッティング(前篇)2017.9.21 学校・チーム

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