強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか? 2021年のセンバツ大会準優勝校、九州の強豪校・明豊高校の川崎絢平監督にお話を聞きました。(聞き手:加来慶祐)“迷ったら代える”(インタビュー前編はこちら→) ――2017年夏の甲子園3回戦は、今でも語り草になっています。延長12回裏に3点差をひっくり返し、9-8で神村学園に逆転サヨナラ勝ちした試合ですが、当時は継投の失敗を悔いていましたね。あの試合で先発したのは佐藤楓馬という背番号10の右ピッチャーで、8回を終えた時点でウチが5-2でリードしていました。8回の守りでは「このイニングで最後だから、力を振り絞って頑張れ」と佐藤に伝令を飛ばし、彼はきっちり3点のリードを守ったまま8回を投げ切ってくれました。ところが、ベンチに戻ってきた佐藤に「さっき伝令で伝えた通り、楓馬はここで交代ね」と言ったところ、一瞬だけ“!?”みたいな顔をしました。普段の佐藤は真面目で大人しくて勉強もできる、人間的にも素晴らしい男でした。いつもなら、ただ「はい!」と言うだけの子が「まだ投げたいです」と自己主張をしてきたのです。私自身“先発完投もほとんど経験したことがない楓馬が、神村を相手にここまで投げられるんだ”と感動しながら見ていたし、甲子園の大事な試合で初めて自分から「投げたいです」と言ってきたのですから、心が打たれないわけがありません。そして「分かった!じゃあ行け」と言って9回のマウンドに送り出した結果、9回に3点差を追いつかれてしまいました。――佐藤投手は結局9回途中でマウンドを降りることになりましたが、あの継投判断のミスによって学んだことは何だったのでしょう?何より、声の掛け方です。「投げたいのか?」と聞かれれば、ピッチャーは「投げたいです」と言うに決まっています。だから、私の聞き方が拙かったんです。ああいう状況では、キャッチャーに聞くべきだったかもしれません。その問いかけに後悔しました。それに“ここは代えるべきだ”と感じたら、後ろのピッチャーを信頼してスパッと代えないといけないと思いました。もちろん監督と選手、指導者と生徒との間の“情”は大事ですが、情に流されて勝てるほど甲子園は甘くないとも感じました。――そういった経験があってか、神村学園戦の後は思い切った継投が目立ち始めた印象があります。早めの継投というか、もう迷ったら代えようと思うようになりました。実際に早いタイミングでピッチャーを代えて後悔したというイメージは、あまりないんです。逆に“遅れたな”と思って後悔したことは何度もあります。神村戦は迷って代えなかったことが失敗だったので。だから、あの試合以降は“迷ったらすぐに代える”という継投になりました。代え時の“基準”を明確化すべし――継投に対する考え方がもっともハマった大会は、やはり準優勝した2021年のセンバツということになりますか?そうです。センバツ準優勝の時は“このピッチャーの、このボールが増えてきたら代え時だ”という明確な基準がありました。京本眞(巨人)、財原光優(同志社大)、太田虎次朗(東洋大)という3人のピッチャーの特徴をこちらで完全に把握できていたので、代え時の基準になる予兆を充分に理解しながら、先手先手の継投を打つことができたのです。――継投が失敗する時の傾向もあるのですか?試合中に“このイニングまで投げ切ってくれたら、次の回に打順が回ってくるので代打を出せる”と考えていると、良い結果には結びつかないことが多いですね。公式戦でこれをやったために痛い目にあったことは、何度もあります。“この回までだからMAXで行くぞ!”と考えてしまうと、ちょっと変になってくるピッチャーも少なくありません。とくにバランスで投げるタイプは、通常のリズムに力感を加えることでおかしなことも珍しくはないのです。もちろん、その逆でMAXのピッチングができるタイプもいますけどね。――今夏の甲子園、北海戦では継投に川崎監督の“情”のようなものを感じました。3年生の森山塁から2年生の野田皇志への代え時が難しく、“情と決断(代え時)”を天秤にかけながら、いろんなことを考えましたね。森山は2点をリードしている7回途中から2番手でマウンドに上げましたが、その時点で本調子ではなく“あまり良くないな。終盤(試合が)ゴタゴタするかもしれんな”と思っていたら、やはり9回二死から押し出しなどもあって同点に追いつかれてしまいました。でも、1年夏から甲子園で投げるなど、チームの誰より経験が豊富なピッチャーが森山でした。それなのに、最後の夏に背番号1を与えることができなかった。“あれだけ森山に頼り続けてきたのに、最後の最後で頼らないのかよ!”という思いも、私の中にはあったのです。だから、最後は“森山でダメなら仕方がない”と腹を括りました。今まで森山が歩んできた過程、練習態度、生活態度、マウンド経験……。それらすべてを含めて、ああいう継投の判断になったのです。情と決断を天秤にかければ、人間なので情が勝つこともあります。ただ、情を取り過ぎている時は負けている印象も強いです。もちろん、森山の場合は情だけではなく、充分な実績や、歩んできた道のりを評価しての続投判断でした。でも、やっぱり継投は難しいですね。(取材:加来慶祐/写真:編集部) 関連記事 【明豊】川崎絢平監督|初めての甲子園で痛感した、事前対策の重要性2023.11.1 学校・チーム 【明豊】変化を続ける「柔軟力」を武器に、川崎絢平監督が目指す夏の頂点 2020.4.2 学校・チーム 【明豊】「全力疾走は『美徳』ではない!」と川崎絢平監督が語る、その真意2020.4.1 学校・チーム 【明豊】川崎絢平監督の試行錯誤と「柔軟力」2020.3.31 学校・チーム 【明豊】川崎監督が辿り着いた「全国で戦える打力」を生むティーバッティング(後篇)2017.9.22 学校・チーム 【明豊】川崎監督が辿り着いた「全国で戦える打力」を生むティーバッティング(前篇)2017.9.21 学校・チーム
元記事リンク:【明豊】川崎絢平監督|情に流されて勝てるほど甲子園は甘くない