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浦和実で1988年から指揮をとっている辻川正彦監督(一時は総監督、部長の時期もあり)。今年春の選抜高校野球では初出場ながらベスト4に進出し、大きな話題となった。そんな辻川監督に長年の指導の中での失敗、そこから学んで現在大事にしていることなどを聞きました。3年で結果を残せなければ・・・辻川監督は東京都の出身で城西大城西高校、国士舘大を経て新卒で浦和実に赴任。ただ当時は高校野球の監督というよりも、あくまで体育教師になるということが目的だったそうだ。ところが、そこから野球の指導に注力するきっかけがあったという。「大学を卒業するタイミングで浦和実から良い話があると聞いて、野球の指導ができる人材ということで採用してもらいました。自分はまず体育教師になることが目標で、その中で野球も指導したいと考えていたのですが、当時の校長からは3年で結果を残せなければ公立高校の試験を受けてほしいと言われました。要はクビですよね。実際、自分が就任する前の監督は3年で辞めています。それなら結果を残すしかないと思ってまず自分の中でスイッチが入りました。ただ東京の高校、大学でプレーしていた自分は埼玉の指導者に何の繋がりもありません。若い頃、指導者の集まりがあっても誰も知り合いがおらず、隅の方で一人でビールを飲んでいるだけ。その時に何とか結果を残してやろうという気持ちが強くなりました。それが二つ目のスイッチだったと思います」ただ当時の浦和実は実績のあるチームではなく、辻川監督が就任した時は部員数も12人だった。そこで辻川監督が始めたのはまず選手に学校のことを知ってもらい、選んでもらうということだった。「野球に限らないことですが、指導者の中には『来てくれた子を育てて勝つ』という方がいます。すごくかっこよく聞こえるんですけど、自分はそうじゃないと思いました。監督をしていて何が面倒かというと、クラブチームや中学の部活を回って、頭を下げて選手に来てもらうということだと思うんです。それを疎かにしてはダメだなと。だから最初からいた選手を鍛えることもしましたけど、地元の浦和や近くの川口など中学校のチームをとにかく回りましたね。学校も自分も実績はありませんから、熱意だけですよね。それで何とか少しでも浦和実のことを知ってもらって、部員数も徐々に増えていきました」 その熱意もあってチーム力は向上。校長と約束だった3年以内に結果を出すというところもクリアすることができたという。「何とか3年で県ベスト16に入りました。自分が1年目に中学を回って入ってきた選手が2年生で、チームの中心となっていました。それがなかったら自分はここにはいません。4年目の夏は準優勝した聖望学園に0対1で負けましたが、5年目の夏はベスト8。その秋は県で準優勝して関東大会にも出ました」5年目の秋に関東大会出場前述したようにスカウティングにも力を入れていたが、もちろん指導面もかなり時間をかけて細かいところまで厳しくやっていたという。グラウンド外、グラウンド内の両面で力を入れていたことが結果に繋がったと言えるだろう。しかし結果が出たことが失敗の始まりだったと辻川監督は話す。「何の経験もない自分が5年目の秋に関東大会にも出られた。その時に1回戦で対戦したのが当時最強と言われていた常総学院で、エースは倉(則彦・元東芝)、野手は金子誠(元日本ハム)などがいた代です。そんなチームにも5対6の接戦でのサヨナラ負けでした。正直これは甲子園も簡単に行けると思いましたね。それが大きな失敗の始まりでした(笑)。当時は28歳ですから、今の自分が見たら相当テングになっていたんだと思います。油断もあったのでしょう。なかなかそれ以上の結果が出ない。もっとしっかり足元を見てやっていれば結果も違っていたのかもしれませんね」それでもそこから8年後の2000年秋には再び県大会で準優勝。関東大会でも千葉1位の八千代松陰を破ってベスト8に進出する。ただ、最終的には補欠校となり選抜出場は逃すこととなった。「この時は手応えもあって、秋の大会が終わった時は色んな方から当確だと言われました。ベスト4に常総学院、水戸商、藤代と茨城が3校残って、藤代は水戸商に点差をつけられて負けたから厳しいという声が多かったんですね。ただ発表が近づいてくると徐々にマスコミの人の熱が下がっていくのが分かりました。結局茨城から3校選ばれたんですね。あの時はショックでしたね」 その後も県内ではコンスタントに上位進出を果たすものの、あと一歩届かないことが続く。後編ではその経験からどうやって選抜出場、そしてベスト4進出に繋がっていったのかを紹介します。(取材・写真:西尾典文) 関連記事 高校野球界の監督がここまで明かす!守備技術の極意|岩井隆監督(花咲徳栄)2025.6.5 トレーニング 【大宮東】冨士大和|一番下から這い上がる夏、プロ見据えるMAX144キロ左腕2024.7.13 選手 【大宮東】飯野幸一朗監督|キャプテンは置かない、最上級生一人ひとりに求めたい責任感2024.7.6 学校・チーム 【花咲徳栄】秋の初戦敗退、夏を見据えて取り組むオフトレーニング2023.2.24 学校・チーム 【花咲徳栄】トレーニングの狙いは能力アップと故障防止2023.2.17 学校・チーム 【浦和学院】若き指揮官がもたらした変革、伝統校に加わった「新たな色」2022.7.18 学校・チーム 【浦和学院】モデルケースになるために、なにがなんでも結果を出したい2022.7.22 学校・チーム 【2020高校生ドラフト候補紹介】#24 豆田泰志(浦和実)2020.4.24 選手
元記事リンク:【浦和実】辻川正彦監督|「甲子園も簡単に行けると思った」大きな失敗の始まり