【福岡大大濠】八木啓伸監督|大濠スタイルを一新させた浜地真澄の存在 すべてのきっかけは、2016年の夏にある

【福岡大大濠】八木啓伸監督|大濠スタイルを一新させた浜地真澄の存在 すべてのきっかけは、2016年の夏にある

柴田獅子、山城航太郎、山下舜平大など、近年立て続けにプロに選手を輩出している福岡大大濠高校。彼等を指導した八木啓伸監督に、これまでの監督生活の中での失敗、後悔、忘れられない敗戦などについて話を聞いた。九州大会優勝からの夏初戦敗退━━2010年の監督就任以来、たくさんの勝ちと負けを経験してこられたと思いますが、指導者として一番のターニングポイントとなった敗戦を覚えていらっしゃいますか?やはり浜地真澄(DeNA)たちの代で喫した2016年夏の初戦敗退ですね。あの年は春の九州大会で25年ぶりに優勝しましたが、あれが私にとっても初めての九州優勝でした。下級生にも三浦銀二(元DeNA)、古賀悠斗(西武)、仲田慶介(西武)がいたこともあり、戦力は非常に充実していました。彼らが力通りに九州大会を勝ちきってくれたことで、大きな手応えと自信を持って迎えた夏でした。もちろん私自身も非常に楽しみにしていたのですが福岡第一に初戦で敗れ、1勝もできずに終わってしまったのです。そこはすごく後悔もあるし、反省もある。指導のやり方をあらためて見直していこうという、大きなきっかけとなった試合になりました。 ━━具体的な指導スタイルの変化をうかがう前に、まずは浜地世代の敗因を振り返ってください。やはり気持ち的な部分でしょうね。私自身も含めて、多少の緩みがあったのかなと思います。それから浜地の状態がなかなか上がってこなかったですね。あの試合は雨の影響で3日続けて中止となったあとで迎えた一戦でしたが、それ以上に浜地がしっかり練習できる環境を事前に整えてあげられなかったという後悔が強く残っています。九州大会優勝のあと、集中的にスポットライトが浜地に当たり、たくさん注目していただけるようになったことで、いろんな方がグラウンドに足を運んでくれるようになりました。非常にありがたいことではあります。その反面、浜地が地に足を付けて練習できる状況を作ってあげることはできませんでした。━━その2016年春は、県大会後の4月に熊本地震が起き、長崎で行われた九州大会の開催が約1カ月延期されるという、例年にはない変則スケジュールでした。5月17日の九州決勝まで目一杯戦ったことの影響はありませんでしたか? 九州大会から夏までの期間が例年よりも短くなったことで、コンディショニングはやはり難しかったですね。浜地もそうですが、チーム全体を良い状態にしてあげられなかったし、夏に向けて集中させてあげられなかったなと感じています。九州で優勝してから時間が短いということは、勢いを維持したまま夏に入ることができるということ。しかし、追う立場から追われる立場になってしまったことで、そこを上手く乗り越えられる方法を見出す時間が、当時の私にはなかったのも事実です。手探り状態のまま“ふわっ”とした状態で夏に入ってしまいました。九州大会後“さあ、次は夏だ!”という方向性を作る前に、夏が来てしまったという感じですよね」━━それでも“今年のチームだったら、なんとかしてくれるんじゃないか”という考えも当然あったと思います。 たしかにありました。ただ、この初戦というところがまた重要なポイントだったと思います。ひとつ勝っていれば、ポンポンと良い感じでトーナメントを勝ち上がることができたのかもしれませんが、結局は力を出せないまま終わってしまいました。あの試合であらためて「高校野球の初戦」の難しさを痛感したと言いますか、初戦に勝つことの難しさを思い知らされました。その経験があるので、以降は「初戦が大事だ」、「まずは初戦だ」というような言葉を多く用いるようになりましたね。間違いなく、その後は初戦に対する熱量は上がっています。決勝に向けて合わせていくのではなく、とにかく初戦に合わせる。以前は初戦から最後(決勝)までをトータルで考えていましたが、浜地たちの代を機に初戦にすべての力を発揮させること、いかに初戦にベストを持ってこられるかを考えるようになりました。甲子園を勝つには全国レベルの2枚目、3枚目の投手が必要━━しかし、福岡県の夏はシード校でも7試合、終盤の県大会に突入すると、10日で5試合というハードな日程が待っています。100%を維持するのは大変ですよね。実際にその通りで、ベストを維持する難しさは感じますね。初戦からベストで突っ込んで行くことで、今度はコンディショニングという新たな課題が生まれました。やはり夏にMAXの状態で1か月を過ごすことには無理がありますから。車で例えるなら、アクセルをベタ踏み状態では故障をきたしてしまいます。そこはアクセルの強弱を付けていかなければなりません。もちろん選手はどの試合もベストで臨むものなので、そのアクセルワークは私自身がしっかり行うべきです。最大出力を発揮させながら、緩めるところは緩める。その感覚は持ってやっているつもりです。━━甲子園には2017年、2021年と春2度の出場で、いずれも8強進出を果たしました。ここで得た教訓や、見出した敗因もあるかと思います。2度の甲子園とも、二つは勝つことができているのですが、三つは勝てていません。痛感したのは投手力が足りなかった、ということです。全国でも通用するふたり目、3人目の投手を育てておかないと、なかなか3つは勝てないのが今の甲子園です。2017年の時は三浦、2021年は毛利海大(明大)という絶対的なエースがいました。彼らがすごく良い投手だったことは間違いありませんが、ひとりエースにはやはり3試合目に大きな壁が待ち受けているのです。そこを突破していくためにも、やはり複数投手が必要だなと肌で感じました。━━三浦投手の2017年は、2回戦の滋賀学園戦で延長15回、引き分け再試合を経験されました。引き分けとなった試合で三浦投手は196球を投げ15回を完投。中1日空けての再試合は9回130球の力投で勝利。しかし、翌日の準々決勝は三浦投手が登板せずに3-8で報徳学園に敗れています。あの時も三浦の起用を巡って、いろいろ苦悩されたと察します。延長15回完投も、2日後の再試合での先発も、三浦の体の状態、心の状態、それからチームの思い……。いろんなものを感じ、汲み取って決断しました。登板を回避した準々決勝も本人は行く気満々で“どうして自分じゃないんだ⁉”と思っていた様子でしたけどね。ただ、あの時は優勝したいという共通の思いがチーム全体にありました。だから準々決勝はチームで乗り切らないといけないワンゲーム。三浦を登板させずにみんなで勝ち切ろうよ、と。そういう判断のもとでの回避でした。もちろん疲労も考慮しました。今でもあの時の判断が間違っていたとは思いません。チームとしての目標は、あくまで「優勝」でしたから。そのためにはエース抜きで勝てることを証明しなければならなかったのです。━━三浦・古賀の高校日本代表バッテリーを中心としたチームは、秋の九州大会で優勝。代をまたいだ春秋連覇を達成しています。センバツ8強ののち、夏は福岡県の決勝で東筑に1-3で敗れてしまいました。三浦投手は全7試合中6完投と、ほぼひとりで投げ抜きましたが、最後は力尽きてしまいました。やはり最後の最後で負けてしまった時には、2枚目以降の育成という課題を突き付けられた思いがしましたね。あの代以降は、常に複数投手を育成していかなければと思っています。2024年には柴田獅子(日本ハム)、平川絢翔(立正大)という理想的な2枚が揃いました。ふたりはいずれも140キロ台後半を投げる柱に育ち、ダブルエースとして夏に頑張ってくれました。そういう意味では、複数投手の育成という点でも、少しずつ成果が出ているのではないでしょうか」(取材・文:加来慶祐/写真:編集部)(後編へ続く) 関連記事 【佐伯鶴城】狩生聖真|進路はプロ一本!日本を代表する投手を目指す2024.7.25 選手 【佐伯鶴城】渡邉正雄監督|プロ注目右腕・狩生聖真と勝負の夏へ、最後のエンジン始動2024.7.19 学校・チーム 【明豊】川崎絢平監督|情に流されて勝てるほど甘くなかった甲子園2023.11.6 学校・チーム 【明豊】川崎絢平監督|初めての甲子園で痛感した、事前対策の重要性2023.11.1 学校・チーム 【大分舞鶴】成長した“個”を束にして、強豪私学に立ち向かう2022.12.16 学校・チーム 【大分舞鶴】「昭和の日」で作り上げた肉体、チームの一体感2022.12.9 学校・チーム 【津久見】練習は打撃が8割!聞こえてきた古豪復活の足音2018.11.19 学校・チーム 【聖心ウルスラ学園】強固な投手陣を作り上げた名物「チャリトレ」2018.6.27 学校・チーム 【聖心ウルスラ学園】夏へ向けて気を配る、選手たちのコンディショニング2018.6.26 学校・チーム

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