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柴田獅子、山城航太郎、山下舜平大など、近年立て続けにプロに選手を輩出している福岡大大濠高校。彼等を指導した八木啓伸監督に、これまでの監督生活の中での失敗、後悔、忘れられない敗戦などについて話を聞いたインタビューの後編です。浜地育成の教訓がふたりのドラフト1位を生んだ<インタビュー前編はこちら→> ━━入学時には将来の可能性を持った多くの才能を預かることになります。後々“もっとこうしてあげれば、もっとすごい選手になっていたかもしれない”と後悔した経験はありませんか?私は何も高校の間にベストを迎えなくてもいいと思っているんです。ピークは人それぞれですから。もし、高校にいる間にピークを迎えさせたいと考えたら、あれもこれも詰め込もうとしすぎて、いろんな負荷をかけてしまうことになります。“ウチでピークを迎えなくてもいいから、いずれ良い投手になれよ“という思いで接しているので、そういう後悔を感じたことはありません。ただし、それも浜地以降の話ですけどね。浜地の場合は夏にピークを持ってこさせようとしすぎて、余計な負荷をかけていました。実際に浜地は夏が終わってからがグッと伸びましたよね。もちろん夏にその時点でのピークを持ってこさせようとはしますが、そればかりを考えすぎて子供たちに変なプレッシャーをかけてしまっては元も子もありません。大濠でベストを迎えなくてもいい。こういった考え方を持ったことで、逆に投手はすくすく育っているような気もしています。━━浜地投手への指導から学んだ教訓は、のちに山下舜平大投手(オリックス)や柴田獅子投手というふたりのドラフト1位右腕の指導にも大いに活かされることになりますね。それは感じますね。もちろん浜地にもすごい将来性を感じていましたが、一方で夏にピークを持ってこさせたいあまりに負荷をかけすぎてしまった。それ以降は、無理をさせないというか、あまり詰め込まないというか、プレッシャーを与えないようになりました。そういった自分の育成方法の確立には、大いに役立ったと思います。山下には「小手先に走るな。変化球はカーブだけで充分だ」と指導していましたが、そこに行き着いたのも浜地の時の失敗があったからです。本当に高校で山下のピークを持ってこようと考えていたなら、おそらく他の変化球も投げさせていたでしょうね。━━コンバートで失敗した例はありませんか?野手同士のコンバートで失敗したことはありません。ただ、投手を野手にとか、打撃が良い子を投手を野手で出場させるなどした時に、落とし穴がありますよね。どちらにも特化できず、ただ余計な負担をかけてしまったことはあります。それもやっぱり浜地なんです。彼も最後の夏に本塁打を打ったように、打撃がすごく良かったので、投げない時には外野や一塁で出場させていました。ただ、浜地はすごく繊細な子なので、やはり投手に特化した方がよかったのかもしれません。これはタラレバになってしまいますが“あの時、もし投手に専念させていれば……”と思うことは、正直あります。━━打撃力のある投手の扱い。それは昨年の柴田投手の起用や指導にも大いに役立ったのではありませんか?そうです。やはり浜地の時に抱いた思いが活きましたね。柴田は最速149キロを投げる右の本格派でありながら、通算19本塁打の大砲。いわゆる投打の二刀流でした。打者として、本当に凄まじい打球を放っていましたからね。結果的に夏は柴田を打者メインで使ったので負担をかけてしまったのですが、それ以前はできるかぎり投手への負担を減らすように気を付けていました。最後の夏も、本当は柴田を打線の下位に置きたいと思っていました。そうやって彼の負担を軽減させたうえで、投手メインで行かせるつもりだったのです。ところが、いまいち打線の流れが良くなかったので“ここは思い切って柴田で行ってみようか”ということになり、県大会(ベスト16)に入ってから4番に置いたというのが正直なところです。ただし、それだけ思いきった打線の組み方ができたのは、もうひとりのエース・平川の調子がすごく良かったからです。もし投手が柴田ひとりであれば、4番に置くことはなかったかもしれません。指導者は前ばかりを見てはいけない━━現役時代の失敗を今の指導に活かしている部分はありませんか?失敗というわけではないのですが、大学時代の私は、なかなか試合に出られず、陰でチームを支える立場の人間でした。そういう経験があるので、試合に出ていない子、なかなか上手くいかない子をしっかり見てあげるように心がけています。監督である以上、彼らはどんな思いで野球をしているのかな、と気に掛けることがすごく大事だと思うんです。そういった選手たちが取り組みやすい環境、前向きになれる環境を作ること。そして、チームのことを思える人に育てていくことが、私の責務だと感じています。試合に出て勝ち負けを争えるということは、一方で試合に出られない者がいるということを忘れてはいけません。逆の考えをすれば、そういう子がいて、初めて選手は試合でプレーできるのです。だから私たちは前で試合をしている選手ばかりを見るのではなく、後ろで応援してくれる子供たちもしっかり見てあげないといけません。そして、そういう子たちにも試合に出てほしいと強く願っています。━━ふと気づいて振り返ったら“なんか俺ひとりで突っ走っちゃったな”と反省したことはありませんでしたか?まったくなかったわけではありません。やはりそれも浜地たちの前と後で変わりました。それまでは陣頭で「行くぞ、行くぞ!」という感じで指導していたのですが、浜地たちの初戦敗退を受けて“それではダメなんだ”とスタイルを改めたのです。そこからはより慎重になったし、自分が先頭に立つのではなく、後ろから選手たちを支える側に回るようになりました。後ろから「ほら、行くよ」と言って背中を押す。そういう立場でないといけないなと感じるようになったのです。━━やはりその頃から選手への言葉がけ、口調すら変わってきたと感じますか?大きく変わっていると思いますね。厳しくすれば強くなるみたいな発想から大きく変わったのは、やはり浜地たちの世代からですよ。浜地とその世代の子らは九州大会の優勝という戦績を残してくれただけでなく、その後の私の指導にも大きな影響を与えてくれました。本当に感謝しかありません。山下や柴田があれだけ大きく育ってくれたのも、浜地たちの影響が大きかったことは間違いないでしょう。とくに浜地との出会いによって、投手の扱い方や投手のマインドなど、本当にたくさんのことを教わりました。私の指導スタイルのいくつかを作ってくれたのは浜地と言っても過言ではありません。━━そして今年も勝負の夏が近づいてきました。チームにとっては36年ぶり、監督にとっては初となる夏の甲子園を目指した戦いが始まります。今年は打つ方がちょっと苦しいんです。春の九州大会では、そのへんの課題が浮き彫りになりました。ただ、そうやってホップ期の春季戦線、その後のステップ期をいい感じで過ごすことができています。これをいかに夏のジャンプに変えられるかというところまで、ようやく来ることができました。現在は選手と一緒にスクラムを組んでやっているところです。この夏は一試合でも多く彼らと戦いたい。そういう気持ちにさせてくれる、すごい伸びしろを持った楽しみなチームです。彼らと甲子園で試合をして、勝って、心の底から喜び合いたいなと思います。私自身はここまで失敗と後悔の連続で、今もそれを繰り返している最中ですが、過去の経験を活かして最高の夏にしたいですね。(取材・文:加来慶祐/写真:編集部) 関連記事 【福岡大大濠】八木啓伸監督|大濠スタイルを一新させた浜地真澄の存在 すべてのきっかけは、2016年の夏にある2025.6.18 学校・チーム 【佐伯鶴城】狩生聖真|進路はプロ一本!日本を代表する投手を目指す2024.7.25 選手 【佐伯鶴城】渡邉正雄監督|プロ注目右腕・狩生聖真と勝負の夏へ、最後のエンジン始動2024.7.19 学校・チーム 【明豊】川崎絢平監督|情に流されて勝てるほど甘くなかった甲子園2023.11.6 学校・チーム 【明豊】川崎絢平監督|初めての甲子園で痛感した、事前対策の重要性2023.11.1 学校・チーム 【大分舞鶴】成長した“個”を束にして、強豪私学に立ち向かう2022.12.16 学校・チーム 【大分舞鶴】「昭和の日」で作り上げた肉体、チームの一体感2022.12.9 学校・チーム 【津久見】練習は打撃が8割!聞こえてきた古豪復活の足音2018.11.19 学校・チーム 【聖心ウルスラ学園】強固な投手陣を作り上げた名物「チャリトレ」2018.6.27 学校・チーム 【聖心ウルスラ学園】夏へ向けて気を配る、選手たちのコンディショニング2018.6.26 学校・チーム
元記事リンク:【福岡大大濠】八木啓伸監督|試合に出られない者がいることを忘れてはいけない