大所帯の部を運営する中で、喜多隆志監督はグラウンドでは原則的に全員の顔をまず見るようにしている。150人ほどいる部員全員の顔と名前のインプットは容易いことではない。しかも真正面から顔を見るだけではなく、取り組みや姿勢、動きも目で追うことが日課だ。全員が絶対できることを増やす「正直、うまいこと生徒たちをやる気にさせられていない部分があるので、細かすぎるのかな、厳し過ぎるのかな、でもこれを言わないとなという葛藤もありながら指導しています。監督就任1年目の時に声を掛けられなかった子がいて“しょうもない“事件”が起きたことがありました。ですので、積極的に声は掛けます。大変というよりそれが僕の務めです。大事な部分なのでここを疎かにはできないと思っています」。 野球経験値の幅が広く、多くの部員が集う興国高校野球部で、まず喜多隆志監督が掲げるのが全力疾走だ。技術、姿勢のハードルを無理やり上げるのではなく、まず全員ができることを、チーム全体に浸透させる。「全力疾走は当たり前の事ではありますが......。できなかったら練習を止めてアップからやり直しさせます。絶対できることを増やして、実際にそれが出来るようになればチーム力もついていくと思うんです。それが野球の技術に反映されれば......。本当はこちらとしても野球の技術を教えたいんですけれど、なかなかたどり着けない部分があります。指導の中で“ちゃんとせえよ”とか“ピリッとせんかい”とか細かい部分を言い続けている間はチーム力がなかなか上がらないと思うんです」。 昨夏、府大会で準優勝した学年は、その点は「“野球”ができていた」と喜多監督は話す。指導陣の教えをしっかりチームに落とし込み、全員で徹底できていたことが結果として府大会準優勝に繋がったのだ。それでは現在のチームはと言うと......。「今の1、2年生は選手らは力はないけれど、素直さを持っています。今は2学年で110人いますが、できることを増やしていけば来年は楽しみな部分はあります」。 ただ、練習場所、時間が限られる中、どこからチーム向上のきっかけを見出していけばいいのか。そこでまず目をつけたのは移動時間だ。移動時間は往復で計2時間。この2時間をすべて練習時間に変えられるのならそれに越したことはないが「それは大阪の学校ですから」と喜多監督。バスでの移動中は携帯などを触るのは原則禁止だが、その代わりに野球ノートの記入時間に充てている。情報交換として部員も指導者も入っている野球部のグループLINEはあるが、LINEで伝えられないことはノートに書くよう促しているのだ。 実際にノートを見ると、生徒それぞれの素性がはっきりと出る。「ちゃんと書ける子もいれば全然書けていない子もいますね。それは野球の取り組みや姿勢にも影響します。ノートは部員全員で100冊以上。段ボールに入れて持ち運んで、チェックするのは大変ですが、コメントを書いて返却はしています。僕も努力しないといけないですからね。生徒って、見えてそうで見えていない部分もあるので、野球ノートはその発見に繋がるんですよ」。 自分ももっと経験を積まなければいけない昨夏の府大会での躍動で、“興国は強くなりましたね”と声を掛けられることが増えたという。だが、実際はチームが着実に右肩上がりで成長している訳ではない。理想と現実がなかなかマッチングしないのが現状だ。「(強くなったと言う人に)一度グラウンドに練習を見に来てもらいたいですね、本当に(苦笑)。実際は教えがいがあるというか、こちらも勉強していかないとチームは後退していく一方です。全員を同じ方向に向かせるのは難しい。野球ノートに書かせること自体がもう古いのかなと思って、アプリなどを駆使するのも手なのかと思うこともあります。でも僕は生徒と心で繋がりたいので、携帯で繋がるのは無機質な部分もあるようにも思えるんです」。大阪で戦う、頂点を目指す以上、避けて通れないのは大阪にひしめく強豪校の存在だ。特に全国屈指の強豪でもある大阪桐蔭のような学校に勝つのは本当に大変なことだと指揮官はうなずく。「現状、生徒たちにも言うのですが、正直なところ今のままでは100%勝てません。でも1%でも勝つ可能性を高めようと思うなら、やったことのないことにトライしていかないといけない。せこい野球ではないですが、スキを狙ってあり得ない攻撃をするとか考えることはありますが、やっぱりバッテリーを中心にしっかりした野球をやらないと勝てません。ピッチャー、キャッチャーがいない中では不可能。チーム作りというのは、その中での話になってきます。粘って勝機を作るならピッチャーありきですよね。勝てると思っていなくても、対抗心というか“やったろか”と思える子が少ないのは事実です。古いけれど、負けん気というか“負けてたまるか”と思える子は少ないですね。勝とうとすればするほどしんどいのが正直なところです。個々の能力だけ見ても勝ち目はないですから。そういう意味でも僕ももっと経験を積まなければいけません」。今、野球部に限らず学生スポーツの部員は、部員が極端に多いか少ないかの二極化になりがちだ。部員が多い部へは批判的な意見も散見される中、自主性などが問われていく世の中で思い悩む部分も多いという。「色んなヒントがあった上での自主性だと思うので、一歩間違えると自主性って指導放棄のようにも見えてしまいますよね。ウチのようなチームだと(自主性を敷くと)選手が育たない。結果は残したいが、甲子園に行ける、勝てる、勝てないは度外視して、5年後、10年後にそれをすることで社会に求められる人材になれるのであれば自主性というのは良いと思うんです」。さらに先を見据えた時、10年後や20年後、どうなっていたいか。部としてもどんな有り方になっていたいのかを考える時ではないか。喜多監督は今後について危惧する部分も多いと見ているが、それでもここに集まる生徒たちと同じ方向へ走っていきたい―。大人数だからこそ、見ることができる夢もある。そんな指揮官の目線の先には、大きな希望や可能性がたくさん詰まっている。(取材・文:沢井史/写真:編集部) 関連記事 【興国】野球エリートの監督が“全員平等”にこだわる理由2022.10.28 学校・チーム
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