中日のエースだった小松辰雄氏は石川・星稜高校時代、甲子園大会に春夏通算3度出場した。1976年の2年夏はベスト4まで進出し、剛速球とパワフルな打撃の投打で注目を集めた。石川県内では1年秋から無敗。全国制覇の期待も高まったが、3年の春と夏はいずれも初戦敗退に終わった。「どちらも、ちょっと不運なところがあったしね……」と今でも悔しそうに話す。無理はない。いずれも思わぬ事態に襲われていた……。
元記事リンク:ブルペンに来ない捕手、サイン見えずに動揺…“甲子園の女神”に見放された大投手の不運
中日のエースだった小松辰雄氏は石川・星稜高校時代、甲子園大会に春夏通算3度出場した。1976年の2年夏はベスト4まで進出し、剛速球とパワフルな打撃の投打で注目を集めた。石川県内では1年秋から無敗。全国制覇の期待も高まったが、3年の春と夏はいずれも初戦敗退に終わった。「どちらも、ちょっと不運なところがあったしね……」と今でも悔しそうに話す。無理はない。いずれも思わぬ事態に襲われていた……。
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