暴力事件→甲子園の推薦辞退 同級生は涙、親も納得せず…“無関係”なのに受けたとばっちり

NPB通算225本塁打をマークした元近鉄内野手の羽田耕一氏は兵庫・三田学園で1年(1969年)秋からレギュラー遊撃手になった。2年(1970年)春の選抜には4番打者として出場。2年夏は兵庫大会準決勝で涙をのんだが、2年秋は兵庫大会優勝、近畿大会準優勝で、1971年春の選抜切符を確定させた。しかし、在校生の暴力事件発覚で推薦を辞退することに……。「野球部は関係なかった。悔しかったですね」と話した。

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