1974年の選抜高校野球大会で春夏通じて甲子園に初出場し、準優勝。部員11人で旋風を巻き起こし「さわやかイレブン」と称されて以降、徳島の県立高校である池田は名将・蔦文也監督の“前衛的”な育成理論と采配で一時代を築いた。金属バットの特性を最大限に活かすための筋力トレーニングで鍛え抜かれた選手たちが、甲子園に甲高い金属音をとどろかせ、相手を打ち負かす。その攻撃的な野球は「やまびこ打線」の異名を取り、全国制覇3度。守り勝つことが主流だった高校球界に大きな衝撃を与えた。
元記事リンク:池田が「やまびこ打線」であり続ける意味 栄光の“呪縛”に悩むOB監督が見つけた本質