最後の夏で、まさに起死回生の一発だった。元中日、ロッテ投手の牛島和彦氏(野球評論家)は浪商(大阪)で投手としてだけではなく、5番打者としてもシュアな打撃で注目を集めたが、高校時代に「球場で放ったホームランは1本だけ」。それが飛び出したのが1979年夏の甲子園。上尾(埼玉)との1回戦で、0-2の9回表2死一塁から放った同点2ランだ。実はこの時「打席で、もう負けたと思っていた」と言う。そんな状況が一転。いったい何が起きたのか。
元記事リンク:牛島和彦、因縁の甲子園「俺は仁村家にとって悪人やな」 9回2死からの奇跡…中日でも続いた友情