2001年のセンバツで準優勝。野球のエリート街道を進むことを半ば約束されたような芳賀の分岐点は、早稲田大での4年間だ。結果から述べれば、芳賀は大学で公式戦のマウンドに一度も立つことはなかった。度重なる故障も響いたが、先輩との人間関係にも悩むことがあったと、芳賀が漏らす。「大学を辞めようと真剣に考えたこともありますし。正直、『生きてんのもしんどいな……』ってくらいへこむこともありましたかね」
元記事リンク:甲子園準優勝ピッチャーの「その後」 早稲田大で絶望の日々→“フリーター生活”を経て…元仙台育英・芳賀崇が“高校教師”になるまで