阪神で先発でもリリーフでも活躍した右腕・中田良弘氏(野球評論家)は、横浜高時代に万全な状態で戦えなかった。1975年の高校1年夏の練習試合で右膝を故障。完治しないまま復帰して投げており「疲労が出ると痛みもあった」という。そんな中、絶えずライバル視していたのが東海大相模だ。6-5で勝利した1年秋の神奈川大会準々決勝で、1学年上の原辰徳内野手(元巨人)から三振を奪ったのは思い出の一コマにもなっている。
元記事リンク:1年春から登板も“破壊”された右膝 「何回も辞めようと…」治らぬ怪我に溢れた涙
阪神で先発でもリリーフでも活躍した右腕・中田良弘氏(野球評論家)は、横浜高時代に万全な状態で戦えなかった。1975年の高校1年夏の練習試合で右膝を故障。完治しないまま復帰して投げており「疲労が出ると痛みもあった」という。そんな中、絶えずライバル視していたのが東海大相模だ。6-5で勝利した1年秋の神奈川大会準々決勝で、1学年上の原辰徳内野手(元巨人)から三振を奪ったのは思い出の一コマにもなっている。
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