「怒る」と「叱る」は絶対に必要|九州学院を強豪校に導いた 友喜力

「怒る」と「叱る」は絶対に必要|九州学院を強豪校に導いた 友喜力

「友喜力」=「友や家族を喜ばせる力」 そんな人間・選手育成論を掲げ、春5回、夏5回の甲子園出場を果たし、史上最年少の三冠王・村上宗隆をはじめ通算14人のプロ野球選手を輩出した九州学院前監督、坂井宏安氏。そんな坂井氏の書籍から、第二章【親身】の一部を紹介します。「怒る」と「叱る」は絶対に必要 ここからは選手、生徒に対する私の指導スタンスを紹介しながら、その持論について述べていこうと思う。私が大事にしている言葉に「親身」というものがある。親身という言葉を調べれば「血筋や結婚などによって繋がる近しい人々」であったり「思いやりを持って優しく接する」という意味だったりするようだが、私の言う「親身」とは、読んで字のごとく「親の身になる」ということである。校門の中では私たち教師が、グラウンドの中では私たち指導者が、生徒に対して最大限の面倒を見る責任がある。それも、親の身になって生徒たちのことを考えなければならない。親の身になれば、何事も本音で物が言えるはずだ。これは親が子にかける愛情と同じなのだから、単なる「優しさ」ではない。「痛いのに何を我慢しているんだよ。それは根性とかいう問題じゃないぞ。これ以上我慢していたら、復帰まで1週間。今休んでおけば2日で復帰できるじゃないか」。そういうことを言ってあげられるのも「親身」だからこそ。親の身になるからこそ言えることがあるし、言わなければいけないこともあるのだ。そして「怒る」と「叱る」を使い分ける必要がある。「怒る」というのは、絶対にやってはいけないことを教える“打ち消し”の指導であって「叱る」というのは自分の言葉や指導によってその子を変えてあげる、蘇らせてあげるための指導である。この「怒る」と「叱る」は絶対に必要である。これがなければ、怒られたり叱られたりした経験のない子供たちが大人になり、加減を知らないまま次世代を育てていくことになる。教わっていないことを教えるのは、非常に危険だと思う。実際のところ、生徒に対しての指導はほとんどが「叱る」なのだ。怒る時は、よほどあってはならない態度を取った場合のみ。もし、そういう態度を取る生徒が我が子であれば、親として必ず怒るはずである。仮に我が子がいじめっ子だったとして「ウチの子はカッコいいだろう」などと、馬鹿なことを言う親はいないだろう。「そういうことは、絶対にしてはいけない」と怒るのが親の務めであるはずだ。野球部の中では、レギュラーだろうがメンバー外だろうが、立場はいっさい関係ない。“まぁいいや、こいつは俺には関係ないから”といって怒りも叱りもしないなど、絶対にあってはならない。 私は生徒の顔を見なくても、挨拶する声で“これは誰だ”とすぐに分かる。グラウンドでもみんなが挨拶してくれるが、それだけで誰が不在なのかもすぐに分かってしまう。もちろん学校でも朝一番で生徒の表情を確認するし、それで何を考えているかがだいたい分かってしまうものだ。それも、親の身になって接しているからこそできることである。教育者、指導者は、この「親身」というものを忘れてはならないと私は考える。 Amazonはこちら 【目次】 第一章 創造性 野球、バドミントン、空手、柔道の指導で培った柔軟な発想銚子で学んだ「本気を伝える叱り方」/甲子園に存在する「3つの感動」 ほか第二章 親身 勝利者を育てた坂井流コーチング「怒る」と「叱る」は絶対に必要/長時間ミーティングは指導者の自己満足だ ほか第三章 友喜力 三冠王を育てた九学野球部のスローガン友喜力で掴んだ甲子園8強/「ウチには選手がいない」は絶対禁句 ほか第四章 教え子、村上宗隆 「臥薪嘗胆」、不屈の友喜力で日本の4番打者となった男長打一辺倒のバッターには育てなかった/歴史的56号誕生の背景にあったもの ほか第五章 一芸は身を助く 突出した才能を備えたスペシャリストたち一芸を伸ばす「末續慎吾コーチ」の存在/一芸選手こそ多芸でなければならない ほか第六章 九学野球の深層部分 坂井宏安の「野球論」と「打撃論」相手投手に100球以上投げさせるな!/速すぎるマシンは打たせない ほか第七章 新時代の野球界へ 高校野球、進化への提言「サイン盗み」に守られた選手に未来はない/選手の県外流出に思う、ルールの脆弱さ ほか 書籍情報 坂井宏安 (著)竹書房2023年3月3日発売/1760円

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