「自分がジンバブエに行きます」甲子園ベスト8・おかやま山陽監督は、なぜ日本を飛び出した? 英語ができない野球青年の人生は“あるテレビ番組”で変わった

東北福祉大の3年生だった1993年の夏。仙台市内のアパート自室の片隅にある、小ぶりなテレビに映し出されたメッセージが、その後の私の人生を大きく変えていく。(堤尚彦・おかやま山陽監督)

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