「高校野球でここまでやるか」継投が異端視された20年前…“木内マジックの完成形”常総学院が優勝するまで「甲子園、40度くらいになるんだ」

公では好々爺を演じていても、その実、眼をぎらつかせている勝負師。そんな木内の本領が発揮されたのが、大会前から監督の勇退を宣言していた03年の夏だった。この年の常総学院は、磯部洋輝と仁平翔の両左腕を中心に茨城大会を勝ち上がってきたが、木内がひそかに「優勝のキーマン」として計算していたのが、県大会でわずか1回1/3しか投げていなかった飯島秀明だった。

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