【脱・流れ論】野球の「流れ」を再考する(3)

【脱・流れ論】野球の「流れ」を再考する(3)

大好評!鹿児島大学の榊原良太准教授による「野球の流れ」に関する研究。第三回はよくある反論とそれに対する回答から、「流れ」をフェアな姿勢で考えることの大切さについて、深く考えていきます。前回の記事では、実際のデータから「流れ」の存在を考えてみました。「四球は流れを悪くする」のような、当たり前だと思っていた通説が、実際のデータでは支持されないことも多く、私たちが思っているほど、「流れ」の存在は絶対的なものではないことがわかりました。 前回の記事でも書いたように、この結果から「流れは存在しない」と結論づけることはできません。この記事の主張は、あくまで「流れ」の存在をフェアな姿勢で考えていきましょう、というものです。しかし、「流れ」の存在を強く信じる人からすると、納得がいかない点も多く、いろいろな反論もあるのではないかと思います。そこで今回は、よくある反論とそれに対する回答から、「流れ」をフェアな姿勢で考えることの大切さについて、深く考えていきたいと思います。 よくある反論【1】「あの試合をみれば流れの存在は明らか」 野球好きであれば、誰もが1つや2つ、「流れ」の存在を強く感じた試合があると思います。たとえば2019年5月15日、日ハムvs楽天の試合では、4回表が終わった時点で8-0と大量のリードを許していた楽天が、そこから怒涛の追い上げを見せ、11回裏のサヨナラ犠飛で逆転勝利をおさめました。選手もファンも、おそらく「流れ」の存在を強く感じたのではないでしょうか。このように、わざわざ実際のデータなんか見なくても、「あの試合をみれば流れの存在は明らか」と言われることがあります。しかし、本当にそうでしょうか? 以下の例を使って考えてみましょう。いま、筆者がダルビッシュ有投手との「1000打席対決」に挑んだとします。結果は、筆者が奇跡的に1本ヒットを打ち、残りの999打席は打ち取られたとします。普通に考えれば、筆者の圧倒的な負けです。しかし、もし筆者が1本のヒットだけをみて、「私にはダルビッシュ投手からヒットを打てる力がある!」と主張しはじめたら…。おそらくほとんどの人が、それは違うと思うでしょう。なぜなら、ヒットを打った1打席だけの結果をみて、それ以外の999打席の結果を無視してしまっているからです。「流れ」の場合はどうでしょうか。8点差からの大逆転劇のように、「流れ」の存在を感じるような試合もあれば、そうはならなかった試合もたくさんあります。となると、本当は「流れ」の存在を感じられなかった試合も含めて、考える必要があるはずです。つまり、「あの試合をみれば流れの存在は明らか」と主張は、1本のヒットで自分の力を過信している筆者の例と、同じような問題があることになります。それでは、なぜ特定の試合にだけ目がいってしまうのでしょうか?これは、「確証バイアス」と呼ばれる、人間の考え方のクセが原因だと言えます。たとえば、「ラッキーセブンは点が入りやすい」と信じていると、7回に点が入った試合だけをみて「やっぱりラッキーセブンは点が入りやすい」と感じてしまいます。下の表で言うと左上のマスです。しかし、実際にはそれ以外のマスも含めて分析をしないと、本当に「ラッキーセブンは点が入りやすい」かどうかはわかりません。「流れ」の場合は、「流れ」の存在が感じられる試合にばかり目がいってしまうということですね。 このように、人間は知らず知らずのうちに、自分が信じるものに当てはまる出来事ばかりに注目してしまう傾向があります。これが確証バイアスです。九州大学の妹尾武治先生の『おどろきの心理学』という本の中では、スポーツの「流れ」や身近な例を使って、この確証バイアスがとてもわかりやすく説明されています。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。よくある反論【2】「流れは数値化できるものではない」 打球の飛距離や球速は、その数値を正確に測定することができます。一方で、「流れ」を数値化するというと、どこか違和感を覚える人は多いでしょう。「今はチームに4の流れが来ている」「相手に3の流れを渡してしまった」なんてことは、普通は言いません。それでは、「流れ」を数値化して考えられないかというと、そんなことはありません。もし「試合中に起こる不思議なチカラ」と定義したら、数値化はとても困難です。一方で、「試合の状況や展開によって、その後の得点や失点に影響が出ること」と定義すれば、前回の記事のように問題なく数値化できます。つまり、「流れ」そのものを数値化することは難しくても、「流れ」によって起こることについては、数値化できるということですね。もちろん、「結果に表れない流れもある」という意見もあると思います。ただ、実際の結果に影響がないのであれば、それを問題にしなくても良いという考え方もできます。バントを初球で決める場合と、2・3球目で決める場合、たしかに初球で決めた方が気持ち良いですが、もしその後のプレーや得点に影響がないのであれば、あまり気にする必要はありませんね。まさに「メンタル上の流れ」と「結果上の流れ」の違いです。いろいろな「流れ」の考え方があると思いますが、定義をしっかりすれば、問題なく数値化して考えることができます。一応この記事では、得点や失点など、試合の勝敗にかかわるものを使って数値化するのが良いと考えています(「結果上の流れ」です)。  よくある反論【3】「〇〇選手や△△監督は流れが存在すると言っている」 実のところ、これが最もよくある反論かもしれません。たしかに、アマチュアの野球好きが何を言おうと、一流の選手・監督が「流れは存在する」と言えば、そっちが正しいと感じるのが普通です。それでは、一流の選手・監督の考えがいつも正しいかと言えば、そういうわけでないでしょう。たとえば、かつての名投手は口々に「投手はとにかく走り込め」と言っていました。しかし、投手に必要なスタミナや筋力を得る上で、走り込みは効率が悪く、さらにウェイトトレーニングの効果を減らしてしまうなんてことも、最近ではわかっています(詳しくはBaseball Geeksの記事、「野球選手に走り込みはもう古い?投手にとって必要なスタミナとは」をご覧ください)。また、「四球はヒットよりも点につながりやすい」と元プロ野球監督が明言していたものの、実際のデータにはその傾向が見られないのは、前回の記事で示した通りです。このように、たとえ一流の人たちであっても、人間の主観や直感は、いつもアテになるわけではありません。だからこそ、主観や直感が入り込まない、客観的なデータが必要になるわけです。カゼをひいたときに安心して薬を飲めるのは、その効果や安全性が、客観的なデータで確認されているためです。「あの〇〇医師が良い薬だと言っている」と主張しても、誰も相手にしてくれません。セイバーメトリクスがこれほど注目されているのも、誰かの主観や直感に頼らず、客観的なデータを使うことで効果をあげているからではないでしょうか。一流の選手・監督の意見はもちろん参考にすべきですが、それだけで何かを「正しい」「間違っている」と決めつけてしまうのは、あまり望ましくないでしょう。「流れ」でなんでも説明できてしまう? さまざまな反論とその回答を書いてきました。繰り返しになりますが、この記事で主張したいのは、「流れ」の存在を絶対視しないこと、つまりフェアな姿勢で「流れ」の存在を考えていきましょうということです。それでもやはり、「流れは絶対に存在する、疑う余地もない」と思う人もいるでしょう。そこで最後に、「流れ」の存在を絶対視することで陥ってしまう、やっかいな問題について紹介しておきます。以下の文を読んでみてください。 ・ダブルプレーでピンチを切り抜け、流れをつかんで得点した・ダブルプレーでピンチを切り抜けたが、流れをつかめず無得点だった こんな感じ解説、よく聞きますね。得点したのは「流れをつかんだから」、無得点だったのは「流れをつかめなかったから」です。しかし、この説明には問題があります。それは、何が起こっても「流れ」で説明でき、「流れ」の存在自体は疑われないという点です。なんだ、やっぱり「流れ」の存在は絶対的なものだ、と思うかもしれませんが、以下の例はどうでしょう? ・ダブルプレーでピンチを切り抜け、野球の神様の力をもらって得点した・ダブルプレーでピンチを切り抜けたが、野球の神様の力をもらえず無得点だった 「野球の神様」でも同じように説明でき、しかもその存在を疑うことはできません!「野球の神様」の存在は絶対的なものなのでしょうか? そうではないですよね。このように、どんなことでも説明でき、しかもその存在が疑われない状態を、少し難しい言葉で「反証可能性がない」と言います。何でも説明できるというのは、何も説明していないのと同じです。何も説明しないなら、そんなもの考えなくてもいいのでは、ということになってしまいます。また、反証可能性がないとき、多くは「科学の対象とはならない」ものとみなされてしまいます(幽霊・UFO・超能力など)。「流れは科学の対象とはならない」という意見もあるかもしれませんが、それはもう、「流れ」が昨今のデータ重視の野球にはなじまないという意味にもなってしまいます。「流れが存在するかどうか」は、意味のある問いです。結局のところ、「流れ」の存在が大切だと本気で言うためには、まずその存在を疑う必要があるということです。フェアな姿勢で「流れ」の存在を考えることが大切なのは、こうした理由のためです。次回は最終回として、これまでの内容をまとめた上で、今後「流れ」をどのように考えていけばよいのかについて、書いていきたいと思います。(鹿児島大学准教授/榊原良太) 関連記事 【脱・流れ論】野球の「流れ」を再考する(2)2020.4.13 企画 【脱・流れ論】野球の「流れ」を再考する(1)2020.2.27 企画 野球に“流れ”は本当にあるのか? 大学准教授が研究!?2020.1.9 企画

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