甲子園が震えた「恐怖の9番打者」“IT社長”になった今だから話せる、名将・蔦監督の逆鱗に触れたあの日…「9番は懲罰打順だった」

あの夏、甲子園は快音で揺れ動いた。1982年の全国高校野球選手権大会。草創期から守備力の高いチームが覇権を争う舞台で、池田(徳島)は高校野球の常識を覆した。公立校ながら猛打で全国の強豪校を次々と撃破し、頂点に上り詰めた「やまびこ打線」は、中軸にのちにプロでも活躍する畠山準(元南海、大洋など)や水野雄仁(元巨人)がいた。しかし、他校を震え上がらせたのは、打順に関係なく強打が続いたこと。その象徴がラストバッターの山口だった。ショートで全6試合に出場し、2試合連続本塁打を放つなど、対戦相手を恐怖のどん底に陥れたのだ。

元記事リンク:甲子園が震えた「恐怖の9番打者」“IT社長”になった今だから話せる、名将・蔦監督の逆鱗に触れたあの日…「9番は懲罰打順だった」